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37件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1999-05-21 第145回国会 衆議院 厚生委員会 第11号

最近の精神保健ケアに関する法基本十原則、WHOの精神保健依存症予防部門が出しているこの文書を拝見しますと、自己決定の過程を援助される権利としまして、その指針としまして幾つか挙げられているんですけれども、法律家やソーシャルワーカーももちろん挙げられていますけれども、四番目に「オンブズマンや患者自治会のような、精神科患者に援助を提供する仕組みを構築する。」

石毛えい子

1993-06-03 第126回国会 参議院 厚生委員会 第11号

政府委員田中健次君) 多磨全生園入所者とそれから患者自治会におきまして推進をされております緑化運動につきましては、地域の住民の方々に安らぎを与えておりまして、また全生園が開かれた場所であるという認識が広まることにつながりまして、私どもは大変結構なことと認識をいたしております。  

田中健次

1982-03-18 第96回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号

その中で、療養所の園長さんを初め関係職員の方あるいは患者自治会役員方々とも会談しながら実情調査をしてまいったわけでありますけれども、そういう中で平素から私が考えておりましたことがますますはっきりとしてまいりまして、これは何とかしなければいけないのじゃないかというような感じがするわけです。  まずお聞きしたいのですが、現在ハンセン氏病の患者はどのくらいおられますか。

川本敏美

1979-05-25 第87回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号

ぎみであるものの充当、増員計画、また入園者皆さんの家屋といいますか住居の充実化、できるだけ個人で入居できるような住宅施設といいますか、入居施設を整備をしてもらいたいというようなこと等を強く取り上げて、その後、早速厚生省の方からも現地の調査などもやっていただいて、五十三年、五十四年度とかなり前向きに御配慮いただきましたことに敬意を表しますが、最近いろいろ調べてみますと、皆さんの方にもこの国立療養所沖繩愛楽園患者自治会

上原康助

1973-06-28 第71回国会 衆議院 内閣委員会 第35号

○坂本(恭)委員 私は、この医療刑務所の隣のハンセン氏病の国立療養所である菊池恵楓園、そこにちょくちょく参るわけですけれども、そこの患者さんたちのお話を聞いておりますと、もともとはそこにこういう医療刑務所ができるときに、患者自治会といいますか、患者皆さん反対されたといういきさつがあると聞いておるわけです。

坂本恭一

1968-05-21 第58回国会 参議院 社会労働委員会 第15号

この問題について、五月十四日に、全医労患者自治会約二百名が施設長交渉した。それは、了解も求めずに直ちに基準料金の徴収の申請をしたことはおかしいじゃないか、これが一つ。  現在行なわれている看護、給食の実態は明らかに申請できる内容のものではないのではないか、だからこれは撤回すべきである、こういうことであったと聞いております。

藤原道子

1968-04-12 第58回国会 衆議院 大蔵委員会 第23号

「全医労患者自治会施設当局は誠意をもって話し合い、話しあいの間は組織統合はおこなわない。」これが第三項であります。  この三項をもって、三月十一日に、国立有明療養所長会田謙吉、全医労書記長松本道広、全医労有明支部長星山芳朗有明療有明療友会長高野国男、それから患者同盟を代表して伊藤重樹、この五人の方が調印をしておられるわけであります。  

米田東吾

1968-03-13 第58回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

実は私、ここへ療養所患者自治会の訴えの手紙をもらっております。手紙を読むといいのですが、時間の関係で私のほうでまとめて言いますが、医師の定員は大体十四名だが、現在六名不足している。正確に言いますと、五名不足で、最近一名やめる。一名は最近沖繩へ行く、こういうことです。だから全部で七名、半分になる。看護婦も全く困っているので、準夜、深夜など一人で一病棟受け持つような状態だ。

谷口善太郎

1962-11-10 第41回国会 衆議院 内閣委員会 第14号

こういうような争点のもとに今日まで約二カ年間いろいろと話し合いをつけてきたわけでございますが、三十六年二月二十八日に、当時の西村防衛庁長官とこの委員会質疑応答の中で確認をいたしましたことは、とにかく不祥事を起こすような問題をかもし出すようなことはやらないようにしたい、そうして円満に解決したい、そして円満に解決する方法としては、やはり地元の、特に患者自治会等と話し合いをして、これらの人々の了解を得なければ

田口誠治

1962-11-10 第41回国会 衆議院 内閣委員会 第14号

田口(誠)委員 抽象的にお答えをいただいたのですが、今一番私が明確にしておきたいと思いますることは、問題が起きまして以来約二年間にわたって話し合いを進めて参りましたことは、この射撃訓練に対して一番反対もしており、そして影響を受ける病院患者自治会人たち了解を得て、この問題は処理してもらいたい、やはりそういうようにしたい、これがまず約束であるわけなんです。

田口誠治

1962-11-10 第41回国会 衆議院 内閣委員会 第14号

田口(誠)委員 そうしますと、患者自治会がやや了解をしておるという認識防衛庁の方ではお持ちになっておるようでございまするが、実際に患者自治会が絶対反対ということなら、これはやはり患者自治会との話し合いのつくまで、この射撃訓練を行なわずに交渉を進めていく、やはり問題解決のために努力をしていく、こういうことなんですか。

田口誠治

1962-04-24 第40回国会 衆議院 内閣委員会 第31号

たまたま昨年の一月十三日でございましたが、守山の部隊が、射撃をやるために相当数の人数が来たわけでございますが、これを聞き込みました土地の人たち、あるいは病院の先生を初め患者が押しかけて、そして交渉の結果、結局この問題については、病院側とも、また患者自治会の方とも了解を得なければ強行はしないのだ、しかし、こういう話し合いについては、一月末を目途にやりたいという一つ話し合いのもとに、その日は終わったわけでございます

田口誠治

1962-02-24 第40回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第6号

この問題につきましては、県が仲へ入りまして、一つあっせん案というようなものを出しておりまして、しかしそのあっせん案内容が、一番問題になっておるところの患者自治会に対しては、何ら意思表示がなされておらないし、これを無視して行なおうとする内容のものであるから、やはりああしたあっせん案が出たことにおいて患者自治会の方では非常に硬化をしまして、今そういう事態があればいつまでも戦うという態勢を作っておるわけなんです

田口誠治

1962-02-24 第40回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第6号

田口(誠)分科員 この点につきましては、たびたび申し上げておるように、あくまでも患者自治会了解を得て、そうして了解の上に立って行動に移していただき、不祥事態が起こることのないように、今後もそうした下部指導を行なっていただきたい、このことを強く要望申し上げて、私の質問を終わりたいと思います。

田口誠治

1961-12-21 第40回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

そういうところから非常に地元の方ではこの問題が再燃いたしまして、先日私が帰郷いたしましたときにもこの問題で会合を持っておりましたが、患者自治会の方では非常な団結のもとに、もしそういうような事態があったなれば、からだを張ってとにかく戦うのだというようなことをきめておったわけです。

田口誠治

1961-02-28 第38回国会 衆議院 内閣委員会 第7号

だから私はあくまでも、これは伊丹の出張所の所長さんかだれか、自衛隊のだれが当たられるか知りませんけれども、その責任者の方が話し合いをされる場合は、これはもちろん病院院長さんにも、患者自治会の幹部にもそして共闘会議内容は、これは私から見てそう過激なものじゃないのですから、今言ったところの温厚なりっぱな人が議長にもなっておるのですから、そういう人も含めて話し合いを行なったその結果、これをどうするかということをやっていただきたいということ

田口誠治

1961-02-28 第38回国会 衆議院 内閣委員会 第7号

田口(誠)委員 測定をする場合に第三者を加えて云々ということは、自衛隊自身がほかでおやりになる場合でも、やはりそういうことは必要だと思いますけれども、私の申し上げることは、今の答弁で大体聞き取れましたが、一方的に無謀な紛争をかもし出すような行動に移すようなことのないように注意は行なうということ、注意を行なうということは、すなわち病院院長さんや患者自治会役員とも話し合いをして、それから行なうのだ

田口誠治

1958-10-21 第30回国会 参議院 社会労働委員会 第4号

表題だけ読んでみますと、「三百人の患者医師二人、〃死の行進〃辞せず、国立足利療養所患者自治会きょう緊急大会」、こういう見出し栃木新聞が大きく取り上げております。同じ日に、朝日新聞もこの問題を取り上げまして、「医師増員を要求、国立足利療養所患者」、こういう見出しで大きく取り上げておりますが、そのあとの方で、その所長である人の話が実は問題であります。

小柳勇

1955-06-16 第22回国会 衆議院 社会労働委員会 第24号

それと、理事長を取り巻いて、こんな建物をこわすのはわけないことだ、そういうこともただいま全く初耳でありまして、多少でもデモに近いことをやったということは、私の記憶では一月三十一日、つまり私が解雇になりました次の日に、患者自治会で、私の解雇反対のプラードを立てて、構内を一、二回回ったということも、もう一つは、二月の十日に、患者自治会病院従業員組合と合同の総決起大会を開きまして、そのどき、たとえば私の

藤岡温

1955-05-24 第22回国会 衆議院 社会労働委員会 第12号

こういうような事情がたびたびあって、そのためにやむなく病院当局患者自治会、つき添い看護婦組合三者が話し合いの上で、このプール制度というものを作ったというように私は伺っておるのであります。これは、今のつき添い料を支払わないという問題だけでなく、さらに今日の医療扶助のつき添い制度それ自体にまた別の問題がある。

長谷川保

1955-05-24 第22回国会 衆議院 社会労働委員会 第12号

しかも清瀬、東療実情というのは、実は病院患者自治会とつき添い婦の組合と三者が、万やむなく話し合いの上で、今のプール制というものをやって、そうしてそういうふうな不払いのあった場合には、つき添いのおばさんがどうしようもありませんから、場合によっては二人前三人前取るときもあったろうと思うけれども、事実大部分はそうでなくて、実は二人づきにしても三人づきにしましても一人づきにしても、東療では八割ないし九割

長谷川保

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